アジアンラリー0


アジアンラリーの公式サイトに、2011年のラリー前に書かれた
アジアンラリーの歴史について英語で書かれたページがあります。

読んでみようにも、なにぶん英語。。。アタマイタイ。

でも、せっかくなので、アジアンラリーの歴史を紐解いて見ようと、
辞書を片手に訳してみましたよ~!




アジアンラリー1アジアンラリー2

アジアクロスカントリー2011は、今回で16回目の開催となるFIA公認のクロスカントリーラリーです。


1996年、アジアンラリーが始まった当時には
パリダカのようなレベルの高いイベントはよく知られていました。

しかしアジアの人が参戦するとなれば、はるか遠うえに経費のかかるものでした。


そんなときに「参加者のドライビングテクニックと四輪駆動車の両方の能力を試す、
本物のクロスカントリーラリー」としてアジアンラリーは開催されました。


これは「アジア人が楽しみ、アジアの人々によって開催される、
アジアで行われるクロスカントリーラリー」で、
ジャングル、沼地、渡河、そして砂漠と言った自然が折りなすあらゆる挑戦に立ち向かうのです。

アジアンラリー4




1996年に開催された最初のラリーは、
マレーシアの首都クアラルンプールを起点としてスタートしました。

そしてはるか遠く、シンガポールを経由し、再びクアラルンプールに戻る合計2000kmのラリーでした。



その年は、マレーシア、日本、台湾の3カ国から30台の四駆が参戦しました。




アジアンラリーはクロスカントリーイベントとして開催されながらも、
競技区間の形式が普通のカーラリーと同様である、という特色がありました。


しかしながらこのラリーの場合、うっそうとしたジャングルを抜ける、
真のクロスカントリーラリーで使われているルートを越えて走るものでしたが。


それは、多大なる成功を収めました。





アジアンラリー1997アジアンラリー3

1997年、ルートはその距離を3000kmに伸ばしました。
スタートは再びクアラルンプールでしたが、タイのバンコクがゴールとなりました。

その年は、マレーシア、タイ、台湾、アメリカから38台の参加がありました。

アジアンラリーはオフロード競技に魅了された人々の想像力をかきたて、レベルも上がりました。



アジアンラリー1998

1988年、ラリーは再びクアラルンプールがスタート地点となりました。
しかし今回はそのルートをタイ北部のチェンマイまで伸ばし、
距離にして3200㎞を走破しました。
 
この年は、マレーシア、タイ、日本、台湾、ニュージーランド、そしてオーストラリアから参加した
40台の四駆がタイ北部の山岳ルートに挑戦しました。


これら草創期の3年間はアジアクロスカントリーラリーの形成期であり、
それを土台として1999年にFIA公認のクロスカントリーラリーとなったのです。




アジアンラリー1999tアジアンラリー1999p


1999年、ラリーの新しい地位にふさわしいルートが考案されました。

クアラルンプール、タイ、そしてラオス人民共和国の首都であるビエンチャンまで
3ヶ国3500kmを走破するもので、ラオスで開催される初のFIA公認イベントでした。


しかしながらFIA公認車両を作るためには特別な作業が必要となり、
その結果、参加台数は32台に落ち込みました。


この年は、マレーシア、タイ、日本、台湾、ニュージーランド、オーストラリアからの参戦がありました。


しかしながら、今やアジアクロスカントリーラリーはラリーの趣を持ちながらも
スピード競技の体裁を持った競技として公認され、一般の人々をさらに惹きつけました。



アジアンラリー2000tアジアンラリー2000p



千年紀となる2000年、ルートはクアラルンプールからタイとミャンマーを経由し、
中国のジンホンがゴールとなる9日間、4200kmとなりました。

これが、ミャンマーにとって初のFIA競技となりました。

この年はマレーシア、タイ、日本、台湾、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの
7カ国27台のラリーカーが、この特別な競技に参戦しました。


そして、アジアクロスカントリーラリーがアジアの中で高い評判を得る競技になり、
今や新たなラリーのスタート地点となったタイの首都、バンコクと共に
新たな舞台へと突入していきました。








長くなったから、とりあえずココまで!

変な日本語なところもありますが、そこはビッグな目で見てください!!

後半はアジアンラリーの歴史(2)に続きます~。