ガレージモンチの社長、竹野選手。


去年、アジアンラリーのアドベンチャークラスに参戦。

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AXCR2011




車両トラブルに何度も見舞われながらも、
ラリー2日目には、翌年である今年のアジアンラリーに
競技者として参戦することを宣言していました!


その宣言通り、今年のアジアンラリーに柳川選手とジムニーでエントリーします!


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TRYANGLE2012 柳川選手と竹野選手




その竹野選手に「ガレージモンチ」についてインタビューしてきました!


ニシナ「竹野さんは元々ディーラーで働いていたと伺いましたが、
どうして自動車の道を選んだのですか?」



竹野「実は、高校を卒業する時に調理師になろうと思っていたんですが、
その2週間前になって『あ、これちがうな、やっぱりクルマにしよう』って思って変えたんです」。

ニシナ「…。それは進路指導の先生に怒られたでしょうねェ。
でもそこで進路をクルマ関係に変えた理由は?」



竹野「モノ作りが好きなんですよ。モノを作りたい、
それを人に見て欲しい、喜んで欲しいって気持ちがあって。
それで整備士になるって思って」。



ニシナ「そうだったんですか」。

竹野「それでトヨタの専門学校に進学して、
卒業してからはトヨタビスタに入りました。
それと同時にミニクーパーのお店をやっている人と知り合いになりました。

そこで『バイトしてくれへんか』って言われて。
僕は整備士の免許を取っただけで、何も出来ないので
お金はいらないから、仕事終わってから勉強も兼ねて
修理の手伝いをさせてってくださいってお願いしたんです。

クルマの修理って数をさわらないとダメだから。

だから、ビスタが終わって帰ってきてから12時ぐらいまで
ミニのお店で働いていました。




ニシナ「どれくらいの期間、続けたんですか?」。

竹野「5年ぐらい続けましたね。

そのときに、向うの人が『お金受け取らないんだったら、
レースカー1台あげるから好きなようにしな。部品は供給してあげるから』
って言ってくれて。それでミニのレースに出るようになりました。

富士のスピードウェイもセントラルサーキットも走ったし。

本当にありがたかったですね」。





ニシナ「そして、独立してガレージモンチを立ち上げたわけですね」。

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竹野「ビスタには7年お世話になりました。
いい先輩がいていろいろと技術を教えてもらいました。

でも、自分は『みんなが集まりやすい場所を作りたい』って思っていたんです。

僕自身もそんな環境を作ってもらっていたから。

みんなが『ただいま』って帰ってこられる場所を、作りたかったんです」。

ニシナ「どうしてですか?」


竹野「遊びをするにしても、何をするにしても、1人では何もできないでしょ。
1人よりも2人、2人よりも10人、10人よりも100人いたら、
やれることの枠が広がってくる。

それに、その子らがしたいと思っているこがあったとしても、
思っているだけではなかなか実現できないけど、
それを仲間に話してくれれば『ほな、僕も一緒にやるわ』って、
もっと膨らませることもできるし。

そのためには人のつながりが必要かなって」。



そうしてガレージモンチを立ち上げて11年。


今では、竹野さんの思いのとおり「ただいま」と帰ってくる
常連のお客さんや、ワンコやヤギや金魚や小鳥たちでにぎわうお店となっています!

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竹野「うちはジムニー屋ちゃうでー!
どんな車種でも対応しますよ!

クルマのことで何かありましたら、ぜひガレージモンチへ!」


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ガレージモンチのシャッターに書かれた名言です!