ASIA CROSS COUNTRY RALLY 2012 アジアクロスカントリーラリー AXCR2012

アジアクロスカントリーラリー2012 に関する情報を発信しています!

カテゴリ:アジアンラリーの歴史

アジアンラリーの歴史(2)


アジアンラリーの歴史(1)
のつづき


アジアンラリー0



アジアンラリー2001pアジアンラリー2001t


2001年、タイ、日本、台湾、韓国から参加した23台のラリーカーが
バンコクからスタートし、ラオスを越えて、ベトナムのフエまで、
3000kmを走りました。

それは、ベトナムにおいて初のFIA公認イベントだったこともあり、熱狂を巻き起こしました。


アジアンラリー2002p

それに続く2002年、マレーシア、タイ、日本、台湾、そして韓国からやってきた27台の
車が、再びバンコクからスタートしました。

そして今回の競技はカンボジアのアンコールワットまでを走りぬけました。
これはカンボジア初のFIAイベントとなりました。




アジアンラリー2003t2003

2003年、ルートは1997年の第2回のイベントの時と同じ
3000kmのルートを走りましたが、今回はバンコクがスタートで、
クアラルンプールがゴールとなる逆方向でのラリーとなりました。



最終SSはセパン国際サーキットを走りました。

このようなクロスカントリーラリーでサーキットが使われる初の試みとなりました。
マレーシア、タイ、日本、台湾、韓国から参加した33台全ての車が
セパンの走行を楽しみました。






アジアンラリー2004tアジアンラリー2004p

2004年、アジアンラリーにはタイ、マレーシア、日本、台湾、中国、
シンガポール、韓国からの参加がありました。


バンコクをスタートし、ラオスを抜け、2900kmを走り再び
タイのバンコクへ戻るコースで、参戦者たちはタイ中部、
北部の山岳と泥のセクションに挑戦しました。


アジアンラリー2005tアジアンラリー2005p



10周年記念となるこの年は、タイ、マレーシア、日本、台湾、
そして韓国から43台の参加がありました。


オートバックスアジアクロスカントリーラリー2005は
8月6日の夜に、タイ王国の王宮前広場でスタートしました。

競技はタイを時計回りに走り抜け、
8月12日タイでも有数のビーチリゾートであるパタヤに戻ってきました。






アジアンラリー2006tアジアンラリー2006p

2006年。
タイ、日本、台湾、マレーシア、ミャンマー、韓国から43台の参戦がありました。

2005年と同様に、競技はタイ王国はバンコクの王宮前広場車をスタートし、
ラオスを抜け2500kmを走りタイのウボンラチャターニーに戻ってきました。

それはラオスのパクセ地域で行われた最初のFIAイベントであり、
興奮の渦を巻き起こしました。







アジアンラリー2007tアジアンラリー2007p

2007年、タイ、日本、台湾から参加した25台の車が8月5日の夜に、
タイ海軍コンベンションホールをスタートしました。

コースはタイを時計回りに回り、
8月10日にタイ有数のビーチリゾートであるパタヤに戻ってきました。





アジアンラリー2008p

続く2008年、タイ、日本、マレーシア、シンガポール、
中国から来た28台の車が8月10日の夜タイ王国はバンコクにある
セントラルワールドをスタートしました。

競技はタイ国内を走り抜け、
8月15日にタイ南部にある有数のビーチリゾートである
プーケットで終結しました。






アジアンラリー2009tアジアンラリー2009p

2009年、タイと日本から来た19台の車が
8月9日の正午にタイ、バンコクのセントラルワールドをスタートしました。

風光明媚なビーチリゾートのパタヤへ進路を取り、
タイ第2の都市、タイ北部のチェンマイがゴールとなるルートとなりました。



アジアンラリー2010p

2010年、タイ、オーストラリア、日本から来た17台の車が
8月7日にタイの楽園リゾートのパタヤをスタートしました。

天候は連日激しい雨でしたが、全ての車両がタイ北部のプレにゴールしました。





アジアンラリー2011t



そしてアジアXCラリーとその参加者たちは
アジアクロスカントリーラリー2011の新たなるページを書き加えることになるでしょう。

そして未来に渡り、このアジアクロスカントリーラリーの歴史に
数多くのページを加えることでしょう。


これがアジアXCラリーの歩んできている道なのです。



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カテゴリ: アジアンラリーの歴史  公式サイトより 

アジアンラリーの歴史(1)

アジアンラリー0


アジアンラリーの公式サイトに、2011年のラリー前に書かれた
アジアンラリーの歴史について英語で書かれたページがあります。

読んでみようにも、なにぶん英語。。。アタマイタイ。

でも、せっかくなので、アジアンラリーの歴史を紐解いて見ようと、
辞書を片手に訳してみましたよ~!




アジアンラリー1アジアンラリー2

アジアクロスカントリー2011は、今回で16回目の開催となるFIA公認のクロスカントリーラリーです。


1996年、アジアンラリーが始まった当時には
パリダカのようなレベルの高いイベントはよく知られていました。

しかしアジアの人が参戦するとなれば、はるか遠うえに経費のかかるものでした。


そんなときに「参加者のドライビングテクニックと四輪駆動車の両方の能力を試す、
本物のクロスカントリーラリー」としてアジアンラリーは開催されました。


これは「アジア人が楽しみ、アジアの人々によって開催される、
アジアで行われるクロスカントリーラリー」で、
ジャングル、沼地、渡河、そして砂漠と言った自然が折りなすあらゆる挑戦に立ち向かうのです。

アジアンラリー4




1996年に開催された最初のラリーは、
マレーシアの首都クアラルンプールを起点としてスタートしました。

そしてはるか遠く、シンガポールを経由し、再びクアラルンプールに戻る合計2000kmのラリーでした。



その年は、マレーシア、日本、台湾の3カ国から30台の四駆が参戦しました。




アジアンラリーはクロスカントリーイベントとして開催されながらも、
競技区間の形式が普通のカーラリーと同様である、という特色がありました。


しかしながらこのラリーの場合、うっそうとしたジャングルを抜ける、
真のクロスカントリーラリーで使われているルートを越えて走るものでしたが。


それは、多大なる成功を収めました。





アジアンラリー1997アジアンラリー3

1997年、ルートはその距離を3000kmに伸ばしました。
スタートは再びクアラルンプールでしたが、タイのバンコクがゴールとなりました。

その年は、マレーシア、タイ、台湾、アメリカから38台の参加がありました。

アジアンラリーはオフロード競技に魅了された人々の想像力をかきたて、レベルも上がりました。



アジアンラリー1998

1988年、ラリーは再びクアラルンプールがスタート地点となりました。
しかし今回はそのルートをタイ北部のチェンマイまで伸ばし、
距離にして3200㎞を走破しました。
 
この年は、マレーシア、タイ、日本、台湾、ニュージーランド、そしてオーストラリアから参加した
40台の四駆がタイ北部の山岳ルートに挑戦しました。


これら草創期の3年間はアジアクロスカントリーラリーの形成期であり、
それを土台として1999年にFIA公認のクロスカントリーラリーとなったのです。




アジアンラリー1999tアジアンラリー1999p


1999年、ラリーの新しい地位にふさわしいルートが考案されました。

クアラルンプール、タイ、そしてラオス人民共和国の首都であるビエンチャンまで
3ヶ国3500kmを走破するもので、ラオスで開催される初のFIA公認イベントでした。


しかしながらFIA公認車両を作るためには特別な作業が必要となり、
その結果、参加台数は32台に落ち込みました。


この年は、マレーシア、タイ、日本、台湾、ニュージーランド、オーストラリアからの参戦がありました。


しかしながら、今やアジアクロスカントリーラリーはラリーの趣を持ちながらも
スピード競技の体裁を持った競技として公認され、一般の人々をさらに惹きつけました。



アジアンラリー2000tアジアンラリー2000p



千年紀となる2000年、ルートはクアラルンプールからタイとミャンマーを経由し、
中国のジンホンがゴールとなる9日間、4200kmとなりました。

これが、ミャンマーにとって初のFIA競技となりました。

この年はマレーシア、タイ、日本、台湾、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの
7カ国27台のラリーカーが、この特別な競技に参戦しました。


そして、アジアクロスカントリーラリーがアジアの中で高い評判を得る競技になり、
今や新たなラリーのスタート地点となったタイの首都、バンコクと共に
新たな舞台へと突入していきました。








長くなったから、とりあえずココまで!

変な日本語なところもありますが、そこはビッグな目で見てください!!

後半はアジアンラリーの歴史(2)に続きます~。


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カテゴリ: 公式サイトより  アジアンラリーの歴史