アジアンラリーの歴史(1)のつづき
2001年、タイ、日本、台湾、韓国から参加した23台のラリーカーが
バンコクからスタートし、ラオスを越えて、ベトナムのフエまで、
3000kmを走りました。
それは、ベトナムにおいて初のFIA公認イベントだったこともあり、熱狂を巻き起こしました。
それに続く2002年、マレーシア、タイ、日本、台湾、そして韓国からやってきた27台の
車が、再びバンコクからスタートしました。
そして今回の競技はカンボジアのアンコールワットまでを走りぬけました。
これはカンボジア初のFIAイベントとなりました。
2003年、ルートは1997年の第2回のイベントの時と同じ
3000kmのルートを走りましたが、今回はバンコクがスタートで、
クアラルンプールがゴールとなる逆方向でのラリーとなりました。
最終SSはセパン国際サーキットを走りました。
このようなクロスカントリーラリーでサーキットが使われる初の試みとなりました。
マレーシア、タイ、日本、台湾、韓国から参加した33台全ての車が
セパンの走行を楽しみました。
2004年、アジアンラリーにはタイ、マレーシア、日本、台湾、中国、
シンガポール、韓国からの参加がありました。
バンコクをスタートし、ラオスを抜け、2900kmを走り再び
タイのバンコクへ戻るコースで、参戦者たちはタイ中部、
北部の山岳と泥のセクションに挑戦しました。
10周年記念となるこの年は、タイ、マレーシア、日本、台湾、
そして韓国から43台の参加がありました。
オートバックスアジアクロスカントリーラリー2005は
8月6日の夜に、タイ王国の王宮前広場でスタートしました。
競技はタイを時計回りに走り抜け、
8月12日タイでも有数のビーチリゾートであるパタヤに戻ってきました。
2006年。
タイ、日本、台湾、マレーシア、ミャンマー、韓国から43台の参戦がありました。
2005年と同様に、競技はタイ王国はバンコクの王宮前広場車をスタートし、
ラオスを抜け2500kmを走りタイのウボンラチャターニーに戻ってきました。
それはラオスのパクセ地域で行われた最初のFIAイベントであり、
興奮の渦を巻き起こしました。
2007年、タイ、日本、台湾から参加した25台の車が8月5日の夜に、
タイ海軍コンベンションホールをスタートしました。
コースはタイを時計回りに回り、
8月10日にタイ有数のビーチリゾートであるパタヤに戻ってきました。
続く2008年、タイ、日本、マレーシア、シンガポール、
中国から来た28台の車が8月10日の夜タイ王国はバンコクにある
セントラルワールドをスタートしました。
競技はタイ国内を走り抜け、
8月15日にタイ南部にある有数のビーチリゾートである
プーケットで終結しました。
2009年、タイと日本から来た19台の車が
8月9日の正午にタイ、バンコクのセントラルワールドをスタートしました。
風光明媚なビーチリゾートのパタヤへ進路を取り、
タイ第2の都市、タイ北部のチェンマイがゴールとなるルートとなりました。
2010年、タイ、オーストラリア、日本から来た17台の車が
8月7日にタイの楽園リゾートのパタヤをスタートしました。
天候は連日激しい雨でしたが、全ての車両がタイ北部のプレにゴールしました。
そしてアジアXCラリーとその参加者たちは
アジアクロスカントリーラリー2011の新たなるページを書き加えることになるでしょう。
そして未来に渡り、このアジアクロスカントリーラリーの歴史に
数多くのページを加えることでしょう。
これがアジアXCラリーの歩んできている道なのです。